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最高裁判所第一小法廷 平成8年(行ツ)193号 判決

上告人

森内勇

右訴訟代理人弁護士

石田恒久

牧義行

佐野洋二

妹尾佳明

石川一成

被上告人

検事総長

土肥孝治

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人石田恒久、同牧義行、同佐野洋二、同妹尾佳明、同石川一成の上告理由第三点について

公職選挙法(以下「法」という。)二五一条の三第一項は、同項所定の組織的選挙運動管理者等が、買収等の所定の選挙犯罪を犯し禁錮以上の刑に処せられた場合に、当該候補者等であった者の当選を無効とし、かつ、これらの者が法二五一条の五に定める時から五年間当該選挙に係る選挙区(選挙区がないときは、選挙の行われる区域)において行われる当該公職に係る選挙に立候補することを禁止する旨を定めている。右規定は、いわゆる連座の対象者を選挙運動の総括主宰者等重要な地位の者に限っていた従来の連座制ではその効果が乏しく選挙犯罪を十分抑制することができなかったという我が国における選挙の実態にかんがみ、公明かつ適正な公職選挙を実現するため、公職の候補者等に組織的選挙運動管理者等が選挙犯罪を犯すことを防止するための選挙浄化の義務を課し、公職の候補者等がこれを防止するための注意を尽くさず選挙浄化の努力を怠ったときは、当該候補者等個人を制裁し、選挙の公明、適正を回復するという趣旨で設けられたものと解するのが相当である。法二五一条の三の規定は、このように、民主主義の根幹をなす公職選挙の公明、適正を厳粛に保持するという極めて重要な法益を実現するために定められたものであって、その立法目的は合理的である。また、右規定は、組織的選挙運動管理者等が買収等の悪質な選挙犯罪を犯し禁錮以上の刑に処せられたときに限って連座の効果を生じさせることとして、連座制の適用範囲に相応の限定を加え、立候補禁止の期間及びその対象となる選挙の範囲も前記のとおり限定し、さらに、選挙犯罪がいわゆるおとり行為又は寝返り行為によってされた場合には免責することとしているほか、当該候補者等が選挙犯罪行為の発生を防止するため相当の注意を尽くすことにより連座を免れることのできるみちも新たに設けているのである。そうすると、このような規制は、これを全体としてみれば、前記立法目的を達成するための手段として必要かつ合理的なものというべきである。したがって、法二五一条の三の規定は、憲法前文、一条、一五条、二一条及び三一条に違反するものではない。以上のように解すべきことは、最高裁昭和三六年(オ)第一〇二七号同三七年三月一四日大法廷判決・民集一六巻三号五三〇頁、最高裁昭和三六年(オ)第一一〇六号同三七年三月一四日大法廷判決・民集一六巻三号五三七頁及び最高裁昭和二九年(あ)第四三九号同三〇年二月九日大法廷判決・刑集九巻二号二一七頁の趣旨に微して明らかである。右と同旨の原審の判断は正当として是認することができる。

そして、法二五一条の三第一項所定の組織的選挙運動管理者等の概念は、同項に定義されたところに照らせば、不明確で漠然としているということはできず、この点に関する所論違憲の主張は、その前提を欠くものといわざるを得ない(最高裁平成八年(行ツ)第一七四号同年一一月二六日第三小法廷判決参照)。その余の論旨は、違憲をいうが、その実質は、原審の裁量に属する審理上の措置又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎない。論旨は採用することができない。

同第一点及び第二点について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右の事実を含め原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) 株式会社ミサワホーム青森(以下「本件会社」という。)の代表取締役であったAは、上告人を当選させる目的の選挙運動を本件会社を挙げて行おうと企図し、従業員の朝礼及び下請業者の慰労会に名を借りた会食の席に上告人を招いて同人に立候補のあいさつをさせ、従業員や下請業者等に対して投票及び投票の取りまとめを依頼するなどの選挙運動をすることを計画して、これを本件会社の幹部らに表明し、その結果、少なくともB建設部長、C開発部次長、D総務部長、E建設部次長及びF同部課長らがこれを了承した、(2) 右計画の下、Aは、B及びCに対し、選挙運動の方法や各人の役割等の概括的な指示をした、(3) これを受けて、B及びCは、朝礼及び慰労会の手配と設営、総決起大会への出席、後援者名簿用紙、ポスター等の配布と回収などの個々の選挙運動について、D、E、Fや、各営業所のチームリーダー、その他関係従業員に指示するなどして、これらを実行させ、また、自らも慰労会の招待状の起案や上告人の都合の確認に当たるなどした、(4) 上告人は、右要請に応じて、朝礼及び慰労会に出席した、(5) その席上、Aは、上告人を会社として応援する趣旨のあいさつをし、上告人自らも、本件会社の従業員又は下請業者らの応援を求める旨のあいさつをしたというのである。

右事実によれば、Aを総括者とする前記六人の者及び同人らの指示に従った関係従業員らは、上告人を当選させる目的の下、役割を分担し、協力し合い、本件会社の指揮命令系統を利用して、選挙運動を行ったものであって、これは、法二五一条の三第一項に規定する組織による選挙運動に当たるということができる(原審は、少なくとも前記六人において「組織」を形成していたとするが、右と同旨をいうものと解される。)。そして、Aが同項所定の「当該選挙運動の計画の立案若しくは調整」を行う者に、B及びCが「選挙運動に従事する者の指揮若しくは監督」を行う者に各該当し、これらの者が「組織的選挙運動管理者等」に当たることも明らかであり、上告人が、選挙運動が組織により行われることについて、Aとの間で、相互に明示又は黙示に了解し合っていたことも明白であるから、上告人が、右選挙運動につき、組織の総括者的立場にあった者との間に意思を通じたものというべきである。所論は、同項所定の「組織」とは、規模がある程度大きく、かつ一定の継続性を有するものに限られ、「組織的選挙運動管理者等」も、総括主宰者及び出納責任者に準ずる一定の重要な立場にあって、選挙運動全体の管理に携わる者に限られるというが、前記立法の趣旨及び同条の文言に微し、所論のように限定的に解すべき理由はなく、また、「意思を通じ」についても、所論のように、組織の具体的な構成、指揮命令系統、その組織により行われる選挙運動の内容等についてまで、認識、了解することを要するものとは解されない。

以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、右と異なる見解に基づいて原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)

上告代理人石田恒久、同牧養行、同佐野洋二、同妹尾佳明、同石川一成の上告理由

第一 法令違背

原判決には、以下のとおり判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。すなわち、公職選挙法(以下「法」)二五一条の三の趣旨及び要件を誤解してこれを本件に不当に適用したものであるところ、この誤った解釈がなければ本件は同条に該当しないのであるからこの誤解が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 法二五一条の三の趣旨の誤解

1 平成六年の法改正前から存した連座制の規定である法二五一条の二は、連座制による当選無効の根拠を「選挙運動の中心にあり、選挙運動において重要な地位を占めたものの選挙犯罪行為は、候補者の当選に相当な影響を与えるものと推測される」という「選挙の本質論」に求め、候補者の無過失責任を問うものである。このことは、最高裁判所大法廷が、昭和三七年三月一四日の判決で、現在の二五一条の二に相当する旧公職選挙法二五一条の二による当選無効について、「選挙運動の総括主宰者、出納責任者のように選挙運動の中心となる、選挙運動において重要な地位を占めたものが選挙犯罪を犯した場合には、当該当選人の得票中には、かかる犯罪行為により得られたものも相当数あり、その犯罪行為は候補者の当選に相当な影響を与えるものと推測され、従って、当選人が総括主宰者の選任及び監督につき注意を怠ったかどうかに関わりなく、その当選を無効とすることが選挙制度の本旨にもかなう」旨判示し(民集一六巻三号五三三、五三八、五三九頁)、「選挙運動員が犯罪行為をしたことについて候補者に責任を問い、制裁を科す」という「制裁的意味」を重視していないこと(最高裁判所判例解説民事編昭和四一年度三一五頁)からも確立した考え方と言えよう。

法二五一条をこのように解すれば、候補者に対してそれが適用されるのは、選挙運動の中心にあり重要な地位を占めたものの選挙犯罪行為により候補者の当選に相当な影響があることが推測される場合であるのだから、制裁に値するか否かを考慮するまでもなく、候補者が無過失の場合でもすなわち候補者が選挙運動員の選任及び監督につき注意を怠ったかどうかに関わらず、当選無効を問いうる合理性があることとなる。言い方を変えれば、法二五一条の二は、連座制が適用される対象者を総括主宰者、出納責任者、公職の候補者の秘書等選挙運動に関して候補者自身と擬制しうる程の極めて重要な地位・関係にあるものだけに限定して列挙しているところ、これらの者の選挙犯罪があったときはそれを候補者自身の犯罪と擬制できるから候補者に無過失責任を問う許容性・相当性も認められるのである。

2 これに対して、右の改正で新たに設けられた法二五一条の三は当選無効の根拠を候補者への制裁的意味に求めるもので、その本質は過失責任である。何故ならば、選挙運動の中心とならず、選挙運動において重要な地位にあったとはいえない組織的選挙運動管理者等の犯罪行為があっても、その犯罪行為が候補者の得票及び当選に相当な影響を与えるものとは推測されず、したがって、組織的選挙運動管理者等の犯罪行為による当選無効の根拠について法二五一条の二に規定する総括主宰者、出納責任者等の場合のような「選挙の本質論」が妥当しえないからである。つまり、原判決も正当に指摘するように(八六頁)、法二五一条の三は当選無効の根拠を候補者への制裁的意味に求めるものであるが、制裁である以上、候補者に制裁を科す前提として、組織的選挙運動管理者等の犯罪行為を防止すべき注意義務および当該注意義務違反の存在を不可欠の前提とする過失責任のはずであり、候補者に無過失責任を課す合理性は全くないのである。また、法二五一条の三は、連座制の対象者を「組織的選挙運動管理者等」と選挙運動で重要な地位役割にない者を含む極めて広汎な文言で規定しているが、これらの者は総括主宰者や出納責任者等とは異なり選挙運動に関して候補者自身と擬制することが到底出来ないのだから当選人に無過失責任を問う許容性・相当性を欠くこととなる。だからこそ、法二五一条の三自体が過失責任を前提とする免責規定を置いており、同条は当選無効立候補禁止を定める一項と免責規定である二項とを車の両輪として成り立っているのである。

3 したがって、法二五一条の三の適用にあたっては、その本質が過失責任であることに重きが置かれるべきであり、候補者に課される注意義務の程度は、無過失責任に近い極端に高度なものではなく、通常の注意義務でなければならない。けだし、法二五一条の三の新連座制は、候補者に対し候補者自身と擬制し得ない他人の犯罪を理由に責任が科されるものであるのだから、「自己責任の原則」よりすれば、かかる例外的責任を課すことができるのは候補者に重大な注意義務違反があった場合に限定されるべきで、候補者に通常より高度の無過失責任に近い注意義務を課すことなどは許されないし、同条の三第二項三号も単に「相当の注意」を怠らなかったときは免責されると規定しているに過ぎないからである。

4 ところが、原判決は、法二五一条の三を「連座制の対象者を選挙運動組織の上層部から末端の選挙運動責任者までの広範囲の者を含む組織的選挙運動管理者等にまで拡大し、これらの者が選挙腐敗行為を行わないよう、当該組織の隅々にまで目を光らせ、万全の防止措置を講ずる義務すなわち徹底した選挙浄化のための努力を払う義務を課す」ものとするが(四四、四五頁)、例え徹底した選挙浄化が理想であるとしても、選挙運動の実体からすれば多数の選挙運動組織のさらに多数の末端の責任者の一人一人までをも候補者が監督注意することは不可能に近く、かかる解釈は結局過失責任を本質とする法二五一条の三を無過失責任を本質とする法二五一条の二と混同して、候補者に無過失責任に限りなく近い高度の注意義務を課すこととなってしまう。

二 「組織」の解釈の誤解

1 候補者と組織との関係

前記のとおり、法二五一条の三の責任は過失責任であるところ、候補者に過失責任を科すためには、その前提として候補者が組織的選挙運動管理者等の選挙犯罪についての予見可能性・結果回避可能性の認識を有することが必要不可欠であり、このように解することで法二五一条の三第二項三号の免責規定も初めて意味を持つこととなる。したがって、法二五一条の三の「組織」とは「候補者が、その組織が自分のために選挙運動をしてくれることを認識しており、かつ、その組織が選挙違反行為をすることを候補者が認識予見出来、組織が選挙違反行為をしないよう候補者が相当な注意をすることが可能な関係つながりにある組織」でなければならないはずである。

しかるに、原判決は、「組織」につき「候補者等自らがその組織もしくは総括者に働きかけ、選挙違反行為を中止し得るだけの人的結びつきがあり、公職の候補者等の指示を受け入れる関係が存在しなければならないものではない」と判示するが(四七頁)、このような見解によれば、候補者は組織の選挙違反行為を現実に予見することしたがって犯罪防止を注意することすら出来ないにも拘らずその選挙違反行為について相当な注意をしなかったとして責任を課されることとなってしまう。かかる解釈は、候補者に不可能すなわち無過失責任を強いるに等しく、また、免責規定の存在意義をも失わせるものとなってしまう。結局、原判決は「組織」の解釈を誤ったものと言うほかない。

2 組織の規模・性格

法二五一条の三は「組織的選挙運動管理者等」すなわち「選挙運動の計画の立案もしくは調整を行う者」、「選挙運動に従事する者の指揮もしくは監督を行う者」および「その他当該選挙運動の管理を行う者」等と規定し選挙運動の管理者の存在を予定しているが、これは同条自体が「組織」をその内部に右のような選挙運動の管理者が存在する組織すなわち相当多数の選挙運動員が存在し、その運動員を上意下達の指揮命令系統によって管理する必要のある組織と考えていることを示すものである。とすれば、「組織」と言うためには「その組織内に明確な指揮命令系統が存在する相当大規模なもので、ある程度の継続性をも有する組織」であることが必要なはずである。

ところが、原判決は「組織」とは「既存の組織かどうか、継続的な組織かどうかを問わず、規模の大小も問わない」と判示しており(四七頁)、原判決にはこの点でも「組織」の解釈に誤りがある。

三 「組織的選挙運動管理者等」の解釈の誤解

「選挙運動管理者等」の解釈に当たっても、右と同様、候補者に過失責任を科す前提として、選挙運動管理者等の選挙違反行為について候補者が予見可能かつ回避可能であることが必要である。

とすれば、「選挙運動管理者等」とは、候補者が自分のために選挙運動をしてくれる組織及びその構成員の存在を認識していることを前提とした上で、その組織内の選挙運動員の内、候補者が、その者が選挙違反行為をすることを予見・認識でき、選挙違反行為をしないよう相当な注意をすることが可能なほど、重要な地位、立場にある選挙運動者であることが必要である。

すなわち、「選挙運動管理者等」とは、「選挙運動において、総括主宰者、出納責任者に準ずる一定の重要な立場にあり、選挙運動の計画立案等、選挙運動全体の管理に携わる程度の選挙運動者」のことを言い、それで初めて、候補者自らによる監督や注意が現実に可能になるはずである。

ところが、原判決は、「選挙運動管理者等」に「前線のリーダーの役割を担うもの」、「後方支援活動の管理を行うもの」と選挙運動の計画立案等選挙運動全体の管理に携わらず、些末な立場にしかない選挙運動者まで含めて解釈しており(四九、五〇頁)、これでは、候補者は、直接十分な面識すらない、多数の選挙運動組織の中の無数の選挙運動者に対する監督責任を課されることになるが、かかる者まで直接候補者が指揮監督することは到底不可能である。

かかる解釈は、候補者に無過失責任を強いるに等しいもので、やはり原判決には、「選挙運動管理者等」の解釈に明らかな誤りがある。

四 「意思を通じて」の解釈の誤解

1 「意思を通じて」の解釈に関してもやはり、候補者に過失責任を科す前提として、候補者に組織の選挙運動管理者の選挙違反行為についての予見可能性・回避可能性の存在が必要のはずである。

とすれば、「意思を通じて」と言うためには、候補者が、自分のために選挙運動をしてくれる組織の存在を認識した上で、その組織内の選挙運動管理者が選挙違反行為を行うことを認識または予見でき、さらにその選挙運動管理者に対して注意をできるほど、組織の選挙運動について、候補者と組織の選挙運動管理者との間に意思の疎通があること必要が不可欠のはずである。

すなわち、「意思を通じて」とは、少なくとも、「候補者が、ある組織が自分のために選挙運動をしてくれることを知り、かつその組織の構成、指揮命令系統、組織の行う選挙活動等を具体的に知った上で、その組織が組織をあげて選挙運動を行うことを認識、了承した場合」でなければならないはずである。ところが、原判決は、「意思を通じて」とは、「選挙運動が組織により行われることについて、相互に明示あるいは黙示に認識をし、了解しあうことであり、候補者が組織の具体的な名称や範囲、組織の構成、構成員、その組織により行われる選挙運動のあり方、指揮命令系統等についての認識までは必要でない」とするが(四八頁)、この程度の認識では、候補者が、組織の選挙運動管理者による選挙違反行為を認識、予見し、さらにそれを注意することなど全く不可能である。

かかる解釈は、法二五一条三の責任が過失責任であることを看過し、免責規定の存在意義を無にするもので、原判決は、「意思を通じて」の解釈に関してもやはり、明らかな解釈の誤りがある。

2(一) 法律とりわけ施行直後のその解釈にあたっては立法者の意図が極めて重要な意味を持つものであることは言うまでもないが、原判決の右解釈は立法者の意図を大きく不当に逸脱するものである。

すなわち、本件新連座制の改正はいわゆる議員立法であるところ、その審議も数回行われているが、その委員会質疑においてこの法律提案者の代表とも言うべき保岡興治衆議院議員は「意思を通じて」について明確につぎのとおり答弁している(参議院政治改革に関する特別委員会議事録第四号―乙二七の四・一五頁)。

○衆議院議員(保岡興治君) これは冬柴提案者からもご説明を申し上げてきたところでございますけれども、意思の連絡をする際には選挙運動についての相互の了解が必要である。その内容の一つとして、ある程度具体的にどういう組織が自分の運動をしてくれるかということは認識していなければならないものと解釈すべきと思います。

それは先ほどから冬柴提案者も説明しているとおり、選挙浄化の努力を尽くさなきゃならぬ立場上、ある程度具体的な組織のあり方については認識をしている、またどういう選挙運動をしていただくかというある程度具体的な予想を、これは相当の注意を払ったかどうかという関係で、結果発生の予見性があったか、あるいは回避可能性があったかなどの判断をするためにもその辺の事実は一つの重要な事実と考えております。

また、参議院政治改革に関する特別委員会議事録第三号(甲五二・一六枚目)によれば以下の質疑が行われている。

○川橋幸子君……(略)……会社とか、私は社会党でございますから労働組合の会合とかというのがすぐ頭に浮かびます。そのほかにもいろいろな、同窓会等々あるわけでございます。忘年会が持たれます。その忘年会の席に主催者の方が立候補者予定者を招いた、それであいさつをしてもらった、こういう具体的なケースの場合にはどういうことが判断基準になってどういう実態が想定されますのでしょうか、お尋ねします。

○衆議院議員(堀込征雄君)……(略)……今お尋ねのケースでありますが、例えば会社とか労働組合が主催する忘年会に立候補予定者が行ってあいさつをする、その主催者である会社や労働組合の構成員が後日買収罪というような罪を犯したというケースの場合は、その立候補予定者とその当該会社、労働組合の間に意思の疎通があったのかどうかということが具体的に検討され判断をされると、こういうことになるだろうと思います。……(略)……

(二) 右の質疑の経過を見た場合、本条の「意思を通じて」の立法趣旨としては少なくとも①公職の候補者等において問題となる組織につき『ある程度具体的な組織のあり方を認識し、また、当該組織がどのような選挙運動を行うのかある程度具体的な予想を持っ』ていることが必要とされ、しかも②公職の候補者等がある団体もしくは会社の主催する会合にその主催者から招かれて出席し挨拶をしたからと言ってただちに本条には該当しないものとされているのである。それにも拘わらず原判決は本条を前記のとおり解釈したうえ本件事実に適用しているのであるが、その適用された認定事実中上告人の認識に関わる部分を列挙すると以下のとおりである(引用中「被告」とあるのは「上告人」をいう)。

(1) Cは、自ら被告に電話を掛け、被告に対し、「先生いつもお世話になっております。ミサワホーム青森のCです。四月一日先生時間取れますか。うちの方で業者さんを集めてごくろうさん会をやるので出席していただけますか。」と誘ったところ、被告は「午後七時三〇分以降なら取れます。」と答え、さらにCが「先生一人でいらっしゃいますか。」と聞くと、被告は「一人で行きます。」と答えた(原判決五七頁)。

(2) Cは、……、同大会会場において、被告に対し、「二八日の朝都合取れますか。都合取れたら会社の朝礼においでになって挨拶して下さい。朝礼は午前九時三〇分からです。」と誘ったところ、被告は、「その時間でしたら空いています。」と答えた(同六二頁)。

(3) Aは、右朝礼において、同社の営業成績等の話をした後、そのころ到着した被告を同社従業員に紹介し、「森内先生は会社で応援することにしました。」と述べ、続いて被告が挨拶に立ち、自己の政策等の話をした後、「是非とも当選させて下さい。四月九日の投票日には皆さんよろしくお願いします。」との挨拶をした(同六四頁)。Aが被告を紹介し、会社の組織を挙げて被告を応援することになった旨を宣明し、被告はこれらを聞いたうえで、自己の政策等を述べるとともに、本件選挙における投票の依頼をした(同八〇頁)。―なお、この認定が誤りであることは後に述べるとおりであるがここではさておく)

(四) 結局、原判決は詰まるところ上告人が①その出席挨拶する会食および朝礼が会社の行事として行われることを認識していた(原判決七七頁以下)ことおよび②朝礼の場でAが会社の組織を挙げて上告人を応援することになった旨を宣明するのを聞いた(これ自体は後に述べるとおり事実誤認であるが)ことをもって組織による選挙運動を認識したと言うに過ぎず、上告人が自己のために選挙運動をしてくれる組織がどのようなものであるのかあるいはその組織が一体何をして呉れるのかということの認識を持っていたのかについて何らの審理認定を行っていない。

ここで留意すべきは、原判決が選挙運動組織として認定した(この認定自体『少なくとも云々』と言うもので本条の骨幹をなす『組織』に対するものとしては不備と言うほかないが)のは、被上告人がそれをミサワホーム青森株式会社(以下「本件会社」)組織と主張しているにも拘らず、A、B、C、D、EおよびFら同社幹部の集合体である(七四頁)とし、他方では「本件会社の指揮命令系統を利用して」(七三頁)と従業員を含む本件会社が選挙運動組織であるかの如き認定をしながら同時に「同社の従業員……に対して組織により」(七三頁)とやはり選挙運動組織は前記幹部らの集合体(したがってその他の従業員は選挙運動の客体)である旨説示していることである。翻って、原判決が説示する上告人の組織に対する認識を見ると、「被告は被告のため票集めを目的として組織により会食の設営等が行われることについての認識を有していた」(七八頁)あるいは「朝礼の設営が被告のため票集めを目的として組織により行われることについての認識を有していた」(八〇頁)とし、その文脈からは当該組織が前記幹部らの集合体であるとしているように見受けられる。

いずれにしても、右のような齟齬もしくは不明確さを来たした原因はひとえに原判決が「意思を通じて」を前記のとおりその立法趣旨を無視し極めて無限定な解釈をしたことにあり、その結果、本件に法二五一条の三第一項を適用し、同時にこのような解釈を行ったがために、上告人が組織あるいはその行う選挙運動に関しいかなる認識を持ったのかについての審理を十分に尽くさないこととなったものである。そもそも、ある程度具体的な組織の輪郭内容およびその選挙運動の内容を認識していない言わば雲をつかむよう集団らしきものを相手に「組織の隅々まで目を光らせ」(原判決四五頁)選挙違反を防止する万全の注意を払う術がないことは明らかである。

(五) 因みに、原判決は「上告人がCに招かれて会食および朝礼に招かれてこれを了承したことを主たる根拠として上告人は幹部らの組織により票集めを目的とした設営が行われたことを認識しひいては組織による選挙運動を認識した」と判示するが、前記立法の過程における質疑にもあるとおり主催者に招かれてある会合に出席挨拶することだけをもって「意思を通じて」と言えないことから見れば右の了承が何らの本条適用の前提とはならないことは言うまでもない。けだし、ある会合に招かれて出席挨拶することは当然のことながら通常は主催者の意向によるものだから、原判決の考え方によれば公職の候補者等がある会合に招かれて挨拶することを了承すれば当該候補者が「主催者ら幹部の組織」により「票集めを目的とした会合が設営された」ことを認識したこととなり、言わば待ったなしに本条に言う「意思を通じて」の要件に該当することとなるが、かような考え方が前記立法過程における審議の結果すなわち立法趣旨に反することは明らかであるからである。

第二 〈省略〉

第三 憲法違背

一 法令自体及びその適用についての憲法違背

法二五一条の三は、以下のとおり、憲法に違反し無効であるから、これを合憲として本件に適用する原判決は憲法に違背するものである。

1 法律要件の広範、漠然、不明確性

(一) 法二五一条の三は、以下のとおり「組織的選挙運動管理者等」の法律要件の規定の仕方が、広範かつ漠然不明確で、無制限に拡大解釈される余地を残すものであるから、適正手続を保障する憲法三一条に違反して、法律自体文面上無効とされるべきである。

(二) そもそも、刑罰法規の定める構成要因が広範あるいは漠然不明確故に無効とされるのは、国民に規制の対象となる行為について適正な告知を成しえず、また国家の法律の恣意的適用・運用による人権侵害の恐れが強く、罪刑法定主義等適正手続を定める憲法三一条に違反するからであるが、法二五一条の三の責任は行政罰ではあるものの、同条の三が当選無効、五年間の立候補禁止という基本的人権を制限するものである点からすれば、刑罰法規と同様に明確かつ厳格にその適用要件が定められることが要求される。

即ち、法二五一条の三が、候補者自身と擬制など到底できない第三者の「組織的選挙運動管理者等」の犯罪行為により、候補者自身が責任を負う規定である以上、同条の三の法律要件は、「自己責任の原則」からして、いかなる第三者のいかなる行為によって自己が責任を負うことになるのか、候補者自身が十分に認識したうえ、相当な注意をなす対象が明確かつ厳格に定められなければならない。

(三) ところが、法二五一条の三は、法律要件として「組織的選挙運動管理者等」と漠然不明確な文言を使い、その言い換えにおいてもなお漠然と「組織」、「その他選挙運動の管理を行う者」等曖昧かつ漠然不明確な文言を用いており、このような文言では、候補者にいかなる他人のいかなる行為によって自己が責任を負うことになるのか十分に告知し得ないし、原判決が「組織とは、公職の候補者等らがその組織もしくは総括者に働きかけ、選挙違反行為を中止し得るだけの人的結びつきがあり、公職の候補者等の指示を受け入れる関係が存在しなければならないものではない。」「意思を通じてとは、公職の候補者等において、組織の具体的な名称や範囲、組織の構成、その組織により行われる選挙運動の在り方、指揮命令系統等についての認識までは必要ない。」とするように無制限と言える程に拡大解釈される余地を残すものであり、かかる法律要件では、国家の法律の恣意的適用による人権侵害の恐れが極めて強い。

このことは立法者自身が国会の答弁で「この連座制の解釈を選挙浄化の程度が進むに従って厳しく解釈運用していくことも道としては残されている」として「その法律文言の広範性および恣意的解釈の余地を自ら認めるところから明らかである(乙二七の一の一八頁上段)。

(四) 以上のとおり、法二五一条の三は、当選無効及び立候補禁止という刑罰法規と同様の基本的人権を制限する効果をもたらすものである以上、同条の三の「組織的選挙運動管理者等」、「組織」、「その他選挙運動の管理を行う者」というような、候補者に右のような効果がもたらされる対象について適切な告知をなしえず、また行政の恣意的適用運用の余地を残すような、広範かつ曖昧で漠然不明確な文言自体が、適正手続を保障する憲法三一条に違反することは明らかであり、法律自体文面上無効とされるべきである。

2 投票者の選挙権の侵害と国民主権違背

(一) 法二五一条の三は、以下のとおり投票者の選挙権(憲法一五条一項)を著しく侵害し、国民主権(憲法前文、一条等)に違背するという点でも文面上違憲無効であり、少なくとも本件に適用される限りにおいて違憲無効とされなければならない。

(二) 選挙権は、国家機関としての公務の執行という性質を有すると共に、憲法一五条一項で保障される個人の主観的権利であり、選挙権が国民主権主義の下で国民が現実に主権を行使し、自己の意見を国政に反映させうる唯一の手段であるという重要性に鑑みれば、選挙権を制限するについては、制限の目的が合理的で、かつ制限の手段が目的達成のため合理的で必要最小限であることが要求される。

(三) ところが、法二五一条の三は連座制の対象者を組織的選挙運動管理者等に大きく拡大したものであるうえ、原判決のように「組織」について「既存の組織かどうか、継続的な組織かどうかを問わず、規模の大小も問わない」(四七頁)ものと解釈すれば、極めて少数者の投票にしか影響を及ぼし得ない者の犯罪行為があった場合にまで、候補者の当選を無効にし、当該候補者に投票した多数の他の投票者の選挙権を著しく侵害する結果になる。

かかる規制手段は、選挙浄化の名の下に、右犯罪行為と全く関係なく投票所に赴いて当該候補者に投票した多数の有権者の投票の努力を無にし、その選挙権を侵害するものであり、多数決原理に基づく民主政治という実質的選挙の公正、国民主権原理を著しく損ない、国民主権(前文一条)を無にしてしまうことになり、著しくバランスを失する結果をもたらすことは明らかである。

とりわけ、本件においては、上告人の得票数は一万二八七二票にも及び当選者の最低得票数七九五四票との間に四九一八票もの差があり(甲四)、原判決が組織的選挙運動管理者と認定したAらの行為が、上告人の当選に影響を与えたものとは考えられないことは証拠上明らかであり、被上告人に投票した多数の投票者の選挙権を著しく侵害するものである。議員定数不均衡問題における抽象的な一票の価値が論争になっている現状において、右一人一人の投票者の現実の「一票の価値」は看過されてはならない。

(四) また、組織ぐるみの選挙違反行為をなくすという目的達成のためには、本来、選挙違反をした組織的選挙運動管理者等に対する罰則を総括主宰者・出納責任者等と同様に厳しくすることが先決のはずであり(法二二一条一項及び三項参照)、それを飛び越えて、無制限と言える程に拡大解釈される危険のある組織的選挙運動管理者の選挙違反行為によって自らは何ら選挙違反をしていない候補者に対し連座制を定めるのは、目的達成のための規制手段として相当性、必要最小限性に欠ける。

以上のとおり、連座制の対象者を大きく拡大し、無制限といえる程に拡大解釈される余地のある「組織的選挙運動管理者等」の犯罪行為によって、極めて少数者の投票にしか不正な影響を及ぼし得ない者の犯罪行為があった場合にまで、多数者の得票を無きものにし、右犯罪行為がなくても明らかに当選していた候補者の当選を無効にする危険性を内包する法二五一条の三は、規制手段の点で合理性、相当性、必要最小限性に欠け、投票者の選挙権、国民主権原理を害するので、文面上違憲無効であり、少なくとも本件に適用される限りでは、上告人に投票した一万二八七二人もの投票者の選挙権及び国民主権原理を不当に侵害するもので違憲無効である。

3 候補者の立候補者の自由及び被選挙権の侵害

(一) 法二五一条の三は、候補者の立候補の自由、被選挙権を著しく侵害する点で違憲無効である。

(二) 最高裁判所は、被選挙権の法的性質につき「立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり、憲法一五条一項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである」旨判示しており(最判大昭四三・一二・四、刑集二二・一三・一四二五)、立候補の自由、被選挙権を制限するについての合憲性の判断にあたっても、選挙権と同様、制限の目的が合理的で、かつ制限の手段が目的達成のため合理的で必要最小限であるという厳格な合理性の基準が要求されるが、法二五一条の三は、前述したとおり、連座制の対象者を組織的選挙運動管理者等に大きく拡大し、組織的選挙運動管理者等という候補者と何ら擬制し得ないものの行為により、候補者に当選無効、立候補禁止という著しい人権侵害をもたらすもので、自己責任の原則に反し、規制手段として著しくバランスを失し、合理性、相当性を欠く。

(三) 原判決は、この点につき、法二五一条の三は免責規定があるから規制手段としても相当であるとするが(八六、八七ページ)、一方で原判決は「組織的選挙運動管理者等」に関して、「候補者等自らがその組織もしくは総括者に働きかけ、選挙違反行為を注意し得るだけの人的結びつきがあり、候補者等の指示を受け入れる関係が存在しなければならないものではない」とし、無過失責任に近い過失責任を要求するごとき解釈適用をしており、かかる解釈適用をすれば、結局免責規定の存在は意味をなくしてしまい、決して原判決のように免責規定の存在をもって法二五一条の三の規制手段としての相当性を裏付けることはできない。

(四) 以上のとおり、連座制の対象者を大きく拡大して、無制限といえる程に拡大解釈される余地のある「組織的選挙運動管理者等」の犯罪行為によってまで、候補者の立候補の自由・被選挙権を侵害する効果をもたらす法二五一条の三は、規制手段の点で合理性、相当性、必要最小限性に欠け、文面上違憲無効であり、少なくとも、本件に法二五一条の三を適用する限りにおいては、候補者の立候補の自由、ひいては政治活動の自由を被選挙権を不当に侵害するものであり、憲法一五条、二一条、三一条に違反することは明らかである。

二 訴訟手続きの憲法違背

原判決は、判例を引用し、本訴訟手続きを合憲とするが、原判決には以下のとおり、判例の理解に基本的な誤りがあり、本訴訟手続きが憲法に違背することは明らかである。

1、2 〈省略〉

3 刑事犯罪の成否についての審査手続について

(一) 当選無効の行政訴訟の審査の範囲に関して、最高裁判所は、「公職選挙法二五一条の二第一項第二号により候補者の当選を無効とするためには、出納責任者が同法二二一条の罪を犯したものとして刑に処せられたことが証明されれば足りる」(昭和四一年六月二三日最高裁第一小法廷・民集二〇巻五号一一三四頁)とする。

しかしながら、右判例は、現在の法二五一条の二に相当する出納責任者の犯罪行為があった場合についての判断であり、「総括主宰者、出納責任者等選挙運動の上で重要な地位にあった者が悪質な選挙犯罪で処罰されたという事実があるならば、それだけでその当選人の当選には疑惑がもたれるものとし、これを無効に値すると解するならば、その当選を無効と認めるのには、刑事裁判の確定があれば足り、その内容の審査は無用のことに属する」という「選挙の本質論」から、行政訴訟では、刑事犯罪の成否についての審査を不要とするものである(最高裁判所昭和四一年度民事判例解説三一五頁)。

しかしながら、既述の通り、選挙運動の中心とならず、出納責任者等のように選挙運動において重要な地位にあったとはいえない組織的選挙運動管理者等の犯罪行為による本件当選無効の根拠については、何ら右判例が根拠とする選挙の本質論は妥当しえず、法二五一条の三の組織的選挙運動管理者等の犯罪があった場合は、右判例の場合とは明らかに場面を異にするもので、右判例の適用の前提を全く欠く。

(二) むしろ、記述の通り法二五一条の三の場合は、法二五一条の二とは異なり、当選無効の根拠を候補者への制裁的意味に求めるもので過失責任である以上、当然自己がその行為により責任を負うことになる他人の刑事犯罪の成否について、候補者自らが行政訴訟で弁解防御する独自の権利を与えられるべきなのである。

従って、法二五一条の三の場合、行政訴訟の受訴裁判所は、組織的選挙運動管理者等とされる者の刑事犯罪の成否について、刑事裁判とは全く違った次元で、独自に証拠を取捨選択し、それらの証拠の価値を十分に吟味して、独自の審理をし、判断を下すべきである。

(三) ところが原判決は、短絡的に出納責任者と組織的選挙運動管理者等を置き換えて右判例を引用し、他に何の具体的な根拠もなく「法二五一条の三第一項は、当選無効訴訟において、受訴裁判所は組織的選挙運動管理者等について、選挙犯罪を理由とする処罰の存否を審理判断すれば足り、そのほかさらに犯罪の成否そのものについてまで審理判断すべきことを定めた趣旨ではない」(四三、四四頁)旨判示しており、右判例の解釈を誤っている。

(四) とりわけ本訴訟手続きでは、刑事犯罪の成否の認定につき、A、B、C三名の検面調書が極めて重大な証拠である。もっとも、刑事裁判においては、右三名は右検面調書の信用性、任意性を認め争われていないが、それは既述のように右三名が執行猶予判決を得て早期に裁判を終わらせたいという意向によったものである。

右刑事事件は上告人が全く関与できないところにおいて確定してしまっており、三名の右のような意向により何ら不利益を受けるいわれのない上告人は、本件訴訟においては、独自の見地、立場から右検面調書の信用性・任意性に関して争い、刑事犯罪の成否について十全に防御できなければならない。

すなわち、上告人が厳しい罰を科される本件訴訟においては、上告人の独自の弁解防御の権利を保障するために、上告人に十分な反対尋問権を認めた上で、刑事裁判で右三名が反対尋問権を放棄したために全く審理されなかった右検面調書の信用性及び任意性が詳しく審査されるべきである。

ところが原審は、上告人側の右検面調書の録取者である担当検察官の証人申請を不当に却下し、上告人側に十分な反対尋問の機会を与えなかった他、右の三名等の証人申請を形式的には認めたものの、実際には、判決で右三名の検面調書と証言の信用性等について具体的に吟味することなく、右検面調書を一方的に無批判に証拠として採用して、原告側主張の通りの事実を認定している。

かかる訴訟手続が、実質的には上告人に全く告知と聴聞の機会及び弁解防御の権利を与えたといえない、予断と偏見に満ちた著しく不適正・不公平なものであることは明らかであり、この点が憲法三一条に違反することは明白である。

4及び三 〈省略〉

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